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IT革命に乗れず 民力低下 技術を過信、構想力欠く
iモード・ウォークマン 世界で敗れる
 日本経済の長期低迷の理由は、銀行問題やデフレなどへの政策対応が遅れたことだけではない。戦後の高成長を支えた民間の活力が低下した影響も大きい。かつては世界をリードした日本の大企業のパワーが弱まる一方、成長分野に人やカネが移る新陳代謝も進まなかった。第2部「民力低下」では、こうした姿を検証するとともに、活力を取り戻すための教訓を探る。
 1990年代の日本経済は「失われた10年」といわれたが、元気印の産業がなかったわけではない。その代表が携帯電話だ。NTTドコモは99年2月、世界初の携帯インターネットサービス「iモード」を投入した。手軽に扱える携帯メールは若者の心をつかみ、需要は爆発。iモードの利用者はわずか2年で2000万人を突破した。
特殊な日本市場
 「世界中の企業がiモードの技術を欲しがっている」。当時のドコモ社長、立川敬二氏はこう豪語したが、必ずしも大げさな言葉ではなかった。「パソコンのIT革命は米国が主導したが、ケータイのIT革命は日本がリーダーになる」。10年続いた経済停滞への突破口として、こんな期待が官民挙げて高まった。
 だが結果は空振り。日本のケータイは世界の流れとかけ離れた方向に進み、今では世界から孤立する「ガラパゴス化」現象が指摘される。
 「日の丸ケータイ」の最初の挫折は2001年度だ。ドコモは米AT&Tワイヤレスなど欧米・アジアの携帯会社に出資し、iモードのファミリーづくりを狙った。だが直後に通信バブルが崩壊し、出資先企業の株価が暴落。ドコモは02年3月期に8000億円強の特別損失を計上し、株主の厳しい批判を浴びた。
 投資の損失にとどまらず、肝心のサービスの普及も進まなかった。02年11月、ドコモは提携する仏ブイグテレコムとパリのシャンゼリゼ通りを“占拠”した。ビルのラッピング(包装)やバスの車体に「iモード」のロゴをあしらい、通りを埋め尽くした。
 だが派手な広告戦略も奏功しない。ブイグのiモードサービスの加入者は100万人を超えるのが精いっぱいで、爆発的普及にはほど遠かった。豪州テルストラのように、iモードサービスを打ち切るキャリアも現れた。
 技術の優位性がありながら、なぜ普及しなかったのか。理由の一つは、通信会社(キャリア)がサービス・技術の主導権を握る日本の通信市場の特殊性かもしれない。日本ではドコモが新サービスを始めれば、携帯メーカーが対応する新端末を一斉投入し、市場が活気づく。だが米欧ではノキアやモトローラなどのメーカーが主導権を握る。彼らはiモードに冷淡だった。
 「国内メーカーに海外でiモード端末を売ってほしいと訴えたが、『うちはブランド力がない』などと言って尻込みした。通信はインフラと端末がクルマの両輪。いくら通信会社がインフラを高度化しても、端末が出そろわなければ、消費者にそっぽを向かれる」。ドコモで海外事業を統括してきた辻村清行副社長は敗因をこう分析する。
 技術で先行しても、周囲を巻き込んで新市場を立ち上げる「ビジネス構想力」がなければ、ITの世界では標準化できない。「日本が優位」と見られながらもモノにできなかった点では、携帯音楽プレーヤーもよく似ている。
音楽配信及び腰
 04年7月、ソニーは携帯音楽プレーヤー「ウォークマン」を発表した。米アップルが01年に発売した「iPod」は音響機器の小型化で世界をリードしてきたソニーのお株を奪った。焦るソニーは「1年で抜き返す」と宣言し、ハードディスク搭載のウォークマンの開発を急いでいた。
 だがウォークマンブランドを活用した巻き返しは失敗に終わった。アップルのスティーブ・ジョブズ最高経営責任者(CEO)は新製品発表をすべて自分でこなし、誰よりも雄弁に個々の機能を語る。トップがセールスマンとして世界に発信するiPodとのアピール力の差は歴然。iPodの販売は9年間で2億5000万台を超えた。アップルは07年に「iPod touch」「iPhone」、10年に「iPad」を発売し、日本企業に水をあける。
 なぜソニーはiPodをしのぐ製品を作れなかったか。
 電機大手の幹部OBは「成功体験の枠をはみ出すものはやらない、やらせないという日本の旧弊を脱せなかった」と話す。例えばソニーはグループに音楽事業会社を抱え、CDの売れ行きに水を差すような音楽配信ビジネスには当初から及び腰だった。
 一方、ジョブズ氏は「消費者の心をつかめば、ヒット曲がさらに増えて潤う」と音楽会社を説得して回った。音楽を配信する「iTunes」はその威力を発揮し、CDからネット配信へと音楽販売の構造転換を引き起こした。
 アップル製品の多くは既存の技術の組み合わせだ。製造は主に中国に拠点を置く台湾企業に委託。自社はデザインと経営モデルの構築に徹し、ハードのほかに1200万もの楽曲を抱えるiTunesの手数料を得る。ハード中心の発想を捨てきれないソニーと比べ、ジョブズ氏のビジネス構想力は一回り大きい。
 ソニーは70年代、家庭用VTR「ベータマックス」を米国で発売した際に、著作権法違反で訴えられた。だが当時の盛田昭夫会長は「VTRの普及は消費者に利益をもたらす」と米メディアや政治家に主張。最高裁まで争った末、「勝訴」をもぎ取った。
 盛田氏を敬愛するというジョブズ氏もiTunesを立ち上げる際は音楽会社の説得に東奔西走した。だがアップルと対峙(たいじ)したソニーは著作権問題を盾に守りに回った。盛田氏の世代が持っていたエネルギーや行動力を後続の世代はいつの間にか失ってしまったのだろうか。



日本企業、存在感薄く
 1980年代、日本の電機産業は主要分野で圧倒的存在だった。例えばNECは半導体とパソコンで世界シェアが1位だった。日立製作所はコンピューターのIBM、重電のゼネラル・エレクトリック(GE)、家電のRCAを兼ね合わせた優良企業だといわれていた。
 それから20年以上を経た今、半導体とテレビで世界一の座にいるのは韓国のサムスン電子。パソコンや携帯電話も欧米企業が首位に立った。日本が辛うじてトップを守るのはデジタルカメラやビデオカメラなど、ほんの一部の製品だけだ。
 電機ばかりではない。新日本製鉄は2009年の粗鋼生産量が前年の2位から7位以下に後退。日本のお家芸として27年連続で世界一だった日本の工作機械も09年は生産額で3位に転落した。代わりに頭角を現したのがアジア企業だ。新日鉄の上位に来た企業は中国の鉄鋼メーカーと韓国のポスコ。工作機械でも上位2カ国のうち、1つは中国だ。
 自動車では昨年、トヨタ自動車が世界一になったが、独フォルクスワーゲン(VW)のヴィンターコーン社長は「もはや日本のメーカーに脅威を感じない」と語る。経済成長の中心が新興国市場に移ってから、中国、南米、アフリカでぶつかるのは韓国の現代自動車だという。



ダイナミズムがない 出井伸之・ソニー元会長
 ――日本企業はこの20年で地盤沈下したが、なかでも目立つのがエレクトロニクスの失速だ。
 「日本の電機の勢いはソニーと松下電器産業(現パナソニック)が家庭用VTRで『ベータ対VHS』の規格争いを繰り広げたころがピークだった。1980年代限りで日本の時代は終わったのではないか。それ以降、デジタルエレクトロニクスの時代が来たが、日本からはグーグルやアマゾンのようなグローバルなIT企業が1社も生まれていない」
 「一方で、軽い組み立て系の企業はまだ多く残っている。欧米でもかつては米RCAや独テレフンケンといった家電メーカーがたくさんあったが、今はなくなってしまっている。日本は古い産業が残りすぎだ」
 ――何が原因か。
 「日本の産業構造はいつの間にか非常に硬直的になってしまった。年功序列や終身雇用の慣行は基本的に揺らいでおらず、『会社をつぶさないこと』が美徳だと思われている。銀行や半導体の業界で起こったように、経営がいよいよダメになると、合併で生き残ろうとするが、その場合でも思い切ったリストラには踏み込めず、M&Aの利益が享受できない。一言でいえば、古い企業を捨て、新しい企業を生み出すダイナミズムが欠落している」
 ――企業の経営の方向性に問題があるのか。
 「国内市場のシェアを気にしすぎるのも、日本企業の問題点だ。国内では手広く事業をする一方、世界市場をにらんだ発想が弱い。例えば、半導体製造受託最大手のTSMCなどは創業時から世界展開を狙っていたが、日本ではそんな企業が少ない」
 ――かつて出井さんが率いたソニーは、携帯音楽プレーヤーで米アップルに遅れを取った。
 「ソニー時代のことはあまり話す立場にないが、一般論でいえば、日本人全体にコンピューター・リテラシーが十分ではない。パソコンを通じて音楽を取り込むという、そもそもの発想が薄かった」
 ――政府には何を望むか。
 「企業が育つ土壌をどうやってつくるのか、日本政府は考えたことがあるのだろうか。高い法人税や各種のこまごました規制はビジネスの大きな障壁だ。官僚をたたけばたたくほど、官僚は新たな規制や細則をつくり、官僚の力が強くなるというのが日本の特徴だ。その結果、日本に本社を置くコストは非常に高くつくようになった」



産業育成、戦略があいまい 西室泰三・東芝相談役
 ――この20年で最大の変化は何でしょう。
 「韓国を筆頭に、東アジアの国や地域が台頭した。特に韓国は国の意志として日本に目標を定め、国づくりを進めた。エレクトロニクス産業はその中心に座り、政府と財閥が一体で育成を進めた」
 「30年ほど前、サムスン電子の首脳から、ある家電分野に参入していいものかと相談を受けた。日本のシェアが世界の過半を握っていた分野であり、どう考えても当時の韓国に勝ち目はなかった。私は『やめた方がいい』と進言したが、彼は少し間をおいて『やっぱりやらせてもらいます。これはサムスンの採算の問題ではなく、国家の問題です』と答えた」
 「1983年にはこんな光景にも出くわした。サムスンが初めて半導体のDRAM工場を立ち上げ、日本から唯一、私が招かれた。政府からは当時の全斗煥大統領が列席し、極めて短期間で竣工にこぎつけたサムスンのトップにその場で勲章を授与した。半導体も家電もみな国家戦略の位置づけだということがよく分かった」
 ――韓国は90年代に国際通貨基金(IMF)ショックを経験しました。
 「過酷な条件を受け入れたが、企業はそれで強くなった。例えばサムスンは社員の数を5万人から3万人に減らした。40歳以上は役員を除き、原則解雇した。良い悪いは別にして、日本で人員を急激に減らそうとしたら、時間も費用も随分かかる。韓国は危機をてこに、政府主導で企業の体質やカルチャーを一気に変えることができた」
 ――日本の電機はこの20年、どうだったのでしょうか。
 「リーマン・ショック以降、政府が成長戦略を主導していくと言い始めたが、それまでは国家戦略のようなものを欠いていた。電機大手は個々の企業益で事業を展開し、適度に国内市場が大きかったことで、メーカーの数も多いまま、産業全体で低収益構造を温存してしまった。」
 ――日本の技術がアジアにたくさん流出した点はどうでしょう。
 「DVDの規格を日本主導で決めたあたりから加速した。日本側がやや理想に走り、技術をオープンにし過ぎた面もある。サムスンなどに対し、日本企業が『育てる』ことを目的に、技術を供与・開示してきたこともそうだ。それらが正しい判断だったかというと、私個人はしなくてよかったのではないかと考えている。国家戦略もなく、野放しにライバル企業を強くしてしまった」
 ――日本の電機産業が21世紀を勝ち抜くのに必要なことは。
 「徹底的に最先端分野を切り開き、政府もそれをサポートすることだ。全体を見渡して、日本がまだ優位性を持つのはエレクトロニクス製品の製造装置や高機能材料だ。例えば、太陽電池、リチウムイオン電池の関連技術は日本の強みとして、韓国や中国の浸食を許してはならない」
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