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「半導体王国」の慢心 世界の潮流つかめず(ニッポンこの20年)
ビッグスリーといえば米国の自動車大手3社を指すが、かつて日本の半導体産業にもビッグスリーが存在した。NEC、東芝、日立製作所の総合電機3社だ。1990年の半導体メーカーの売上高ランキングをみると、首位はNEC、2位が東芝、日立も米モトローラに次ぐ4位だった。
それから20年。米自動車のビッグスリーはゼネラル・モーターズ(GM)が法的整理に追い込まれるなど、苦難の道を歩んだが、日の丸半導体3社の道のりも、それに劣らず厳しかった。
2009年のランキングにはNECの名前がない。東芝は3位に踏みとどまったものの、首位の米インテル、2位の韓国サムスン電子との差が大きい。日立と三菱電機の事業統合で発足したルネサステクノロジは辛うじて8位に残った。
世界を席巻した日本の半導体は、なぜ大きく後退したのか。東芝の半導体事業の総帥として全盛期に指揮を執った元副社長の川西剛氏は「日本の半導体に復活のチャンスがないとは思わない」と前置きしながらも「やはり世界を見ないで、国内を向いて競争していた。それが今日の事態を招いた」と指摘する。
新興勢力見過ごす
多数のメーカーがひしめき合った日本の半導体産業。東芝は「日立とNECに負けるな」が合言葉になり、グローバルな視点は乏しかった。サムスン電子が手ごわいライバルだと認識したのは、かなり時間がたってからだという。
エレクトロニクス産業の流れも日本勢に不利に働いた。テレビなどの家電製品は日本のお家芸。そこに搭載されている半導体も強い。だが90年代以降、IT(情報技術)機器の主役になったパソコンの主導権は米国が握り、パソコンの頭脳に当たるMPU(超小型演算処理装置)はインテルが牛耳った。携帯電話の爆発的な普及も日本企業への追い風にはならず、そのチャンスを生かしたのは米クアルコムのような携帯市場に特化した専門企業だった。
じわじわと後退を重ねてきた日本の半導体産業がいよいよ行き詰まるのは90年代末だ。総合電機各社の体力が弱まり、巨額の設備投資が必要になるDRAM事業を抱えきれなくなった。
長年のライバルだったNECと日立は事業統合を決断し、99年12月にはエルピーダメモリが発足した。NECの元幹部は「戦略提携といえば聞こえはいいが、両社とも金食い虫のDRAMを社外に切り出したかったのが本音」と解説する。
その前後から各社の事業撤退や再編集約が加速する。10社近くあった国内のDRAMメーカーも現在はエルピーダ1社。日立と三菱電機はシステムLSI(大規模集積回路)事業を統合し、2003年にルネサステクノロジが発足。さらに10年4月にはNECエレクトロニクスとも統合し、ルネサスエレクトロニクスとして再々出発した。
再編で打開できず
「再編が進まない」とされる日本の産業界で、半導体は例外的に淘汰が進んだ業界といえる。だが問題は、再編集約が競争力の回復につながっていないことだ。
元日立の半導体エンジニアで、半導体産業について積極的に発言する著述家の湯之上隆氏は、日立時代に発足直後のエルピーダに出向した経験をこう振り返る。「日立とNECの出身者がにらみ合い、何も決まらない。日立側は『日立の技術がいい』と訴え、NEC側はその逆を主張する。不毛な対立で1年を浪費した。その間に韓国や台湾のライバル企業は随分先に進んでいた」
母体企業のプライドやメンツを引きずり、一体感が生まれない。そんな状態が解消されたのは、外資系企業出身の坂本幸雄氏をトップに招へいした02年以降という。
「産業のコメ」と呼ばれ、日本経済をけん引すると期待された半導体産業。没落の根底にあったのはグローバル競争から目を背ける内向きな姿勢と危機感の欠如だ。
「半導体王国」の全面復活は望み薄でも、電力を制御するパワー半導体など日本が優位な分野がないわけではない。それをモノにできるかどうかが半導体産業の存続を占う分岐点になる。
決断力欠き、ずるずる後退 飯塚哲哉ザインエレクトロニクス社長
――日本の半導体業界が失速したのは、何か決定的な失敗があったからなのか。
「私は東芝で長年エンジニアを務め、1992年に「ファブレス」と呼ばれる半導体の設計専門企業、ザインを創業した。その経験に照らしていえば、日本の半導体はどこかで決定的な失敗を犯したというわけではなく、過去20年間じわじわと後退し続けたというのが実態だろう」
「それには、いろいろな原因がある。例えば米インテルは80年代に日本企業に押され、これ以上続けてもだめだと判断してDRAMから撤退し、パソコンなどのプロセッサー事業に特化した。まことに戦略的な動きであり、「これぞ経営」というべき見事な決断だったと思う。日本企業がまねしたくても、なかなかまねのできない割り切り経営だ」
――日本企業はインテルのような米国勢だけでなく、韓国のサムスン電子や台湾の大手ファウンドリー(受託生産会社)に対しても競争力で劣後している。
「韓国勢や台湾勢が力をつけたのは、為替相場の動向や法人税の低さなど一企業では何ともしがたい外部要因も大きい。それが何年も何年も続いた結果、競争力が逆転した。例えば台湾の大手ファウンドリーと国内メーカーを比べると、以前は日本企業のお家芸とされた生産技術を含め、完全に台湾企業がリードしている」
「自由主義を信奉する米国でさえ、半導体産業が窮地に立った時には日米半導体摩擦が起こり、政治介入した。それに比べると、日本の政府や政治家はもう少し企業の国際競争力に関心を持ってもいいのではないか」
朝日新聞社「希望退職」に記者が大量応募
新聞・雑誌の実売部数を調査する日本ABC協会の、いわゆる「ABC調査」で、『読売新聞』が一千万部を維持している一方で、『朝日新聞』が朝刊で八百万部を割ったことが、六月末の調査で明らかになった。かねて、朝日新聞社の秋山耿太郎社長は「八百万部は絶対に維持しなくてはならない」と明言していただけに、八百万部割れは、同社にとってショッキングな結果だった。
朝日新聞社は二期連続の営業赤字に転落しているが、今期に入っても広告売上は相変わらず低迷。その上、販売売上も減少していることから、来年三月期決算も、三期連続の営業赤字になる可能性が高い。
そこで、こうした苦境を乗り切ろうと、同社では、六月から同社の「転進支援制度」に基づき、社員の早期退職を募集した。期限は九月三十日で、四十五歳以上が対象。同制度は、定年の六十歳まで勤続すれば得られる収入の半分を、退職金に上乗せすることが特徴。たとえば、現在五十歳で年収が一千五百万円の人が今回の早期退職に応じた場合、定年までの十年間分の収入である一億五千万円の半分の七千五百万円が通常の退職金(約二千万円)に上乗せされるため、合計九千五百万円になる計算だ。
このように、有利な制度であることから、七十名ほどが応募した模様だ。内訳は、編集所属が四十人前後で、残りが広告や販売。大阪の編集のナンバー2とされた記者も含まれている、といわれている。編集部門からの大量応募は予想外だったようで、人事部門は記者の穴埋めに慌てているようだ。
会社側は十一月頃を目途に「転進支援制度」の第二次募集をかけ、来年三月末までに三十名程度を追加募集。一次と二次を合わせて百名規模の人員削減を目指す方針だ。広告、販売ともにじり貧の中では、人員削減等の社内合理化を進めるしかなく、「社員の士気は落ちる一方」と、ある同社社員は嘆いている。
電子部品受注変調の兆しは? 村田製作所社長 村田恒夫氏に聞く 3DTV・電子書籍が下支え
金融危機後の落ち込みから順調に回復してきた電子部品受注に夏場以降、一服感が出ている。来年にかけ「市況の谷」を予測する声もある。あらゆる電子機器に搭載される電子部品、積層セラミックコンデンサーで世界シェア首位の村田製作所は顧客動向をいち早く把握、市況変動に対し素早く手を打ってきた。村田恒夫社長に見通しを聞いた。
――電子部品の受注動向に変調はあるか。
「4~6月の受注額は1635億円とリーマン・ショック前の水準を上回った。特に4月は需給逼迫(ひっぱく)を受けて顧客企業が部品の発注を前倒しした分、急増した。その反動もあり7~9月は4~6月を下回った。加えて春から米国を中心にパソコンの需要が落ち込んだ。期初は今年度のパソコン市場を前年度比15%増の3.9億台と予想したが、10%増に下方修正した」
「パソコン以外は好調だ。特に無線通信などの部品点数が多いスマートフォン(高機能携帯電話)が受注を下支えしている。受注残もあり、コンデンサー工場の平均稼働率は28日稼働ベースで100%を超えている。派遣従業員を3月末の4000人から6月末は4600人に増やした」
――年末商戦に向け部品受注はピークを迎えた後、落ち込む懸念はないか。
「私は楽観的に見ている。業界では来年5~6月にかけて落ち込むとの見方もある。パソコン市場だけを見ると慎重になりがちだが、コンデンサーは幅広い分野で使われる。これから電子書籍や3Dテレビの市場が立ち上がることで年末商戦後も部品受注はそう落ち込まないだろう。中国の春節(旧正月)需要も下支えになる。電子化が進む自動車や、電力などのインフラ設備向けも期待できる」
「ただ予測は年々難しくなっている。顧客企業の生産計画をもとにパソコンや携帯電話などの需要を予測しているが、製品サイクルが短くなったうえ、サプライチェーンが進化し在庫が減り、需要がぶれやすい。部品在庫の管理を当社が担い、顧客が在庫を持たないケースも増えている。製造から出荷までのリードタイムを短縮し対応している」
――円高の影響は。
「下期の為替レートの想定は1ドル=90円から85円に変更する。1円の円高で営業利益は18億円押し下げられる。海外生産比率は業界平均の65%に対し、当社はわずか15%。高付加価値品の比率を高めて国内生産を維持しようとし、対応が遅れた面もある。2013年3月期には30%に引き上げる計画で、あまり遅れない時期に達成したい」
<聞き手から一言>生産体制再構築、競争力に不可避
電子部品市場が右肩上がりの成長を続けていた2006~08年。村田製作所は独自の需要予測に基づき、06年度から2年続けて1000億円規模の大型投資をいちはやく実施、業績は急拡大した。だが、金融危機で一変。勝利の方程式は通用しにくくなった。
需要予測が難しくなっただけでなく、競合の韓国メーカーがウォン安を武器にシェアを拡大、台湾勢も台頭してきた。売り上げの8割を海外が占める中、国内生産にこだわり続けるのは厳しい。生産体制の再構築が急務だ。
ビッグスリーといえば米国の自動車大手3社を指すが、かつて日本の半導体産業にもビッグスリーが存在した。NEC、東芝、日立製作所の総合電機3社だ。1990年の半導体メーカーの売上高ランキングをみると、首位はNEC、2位が東芝、日立も米モトローラに次ぐ4位だった。
それから20年。米自動車のビッグスリーはゼネラル・モーターズ(GM)が法的整理に追い込まれるなど、苦難の道を歩んだが、日の丸半導体3社の道のりも、それに劣らず厳しかった。
2009年のランキングにはNECの名前がない。東芝は3位に踏みとどまったものの、首位の米インテル、2位の韓国サムスン電子との差が大きい。日立と三菱電機の事業統合で発足したルネサステクノロジは辛うじて8位に残った。
世界を席巻した日本の半導体は、なぜ大きく後退したのか。東芝の半導体事業の総帥として全盛期に指揮を執った元副社長の川西剛氏は「日本の半導体に復活のチャンスがないとは思わない」と前置きしながらも「やはり世界を見ないで、国内を向いて競争していた。それが今日の事態を招いた」と指摘する。
新興勢力見過ごす
多数のメーカーがひしめき合った日本の半導体産業。東芝は「日立とNECに負けるな」が合言葉になり、グローバルな視点は乏しかった。サムスン電子が手ごわいライバルだと認識したのは、かなり時間がたってからだという。
エレクトロニクス産業の流れも日本勢に不利に働いた。テレビなどの家電製品は日本のお家芸。そこに搭載されている半導体も強い。だが90年代以降、IT(情報技術)機器の主役になったパソコンの主導権は米国が握り、パソコンの頭脳に当たるMPU(超小型演算処理装置)はインテルが牛耳った。携帯電話の爆発的な普及も日本企業への追い風にはならず、そのチャンスを生かしたのは米クアルコムのような携帯市場に特化した専門企業だった。
じわじわと後退を重ねてきた日本の半導体産業がいよいよ行き詰まるのは90年代末だ。総合電機各社の体力が弱まり、巨額の設備投資が必要になるDRAM事業を抱えきれなくなった。
長年のライバルだったNECと日立は事業統合を決断し、99年12月にはエルピーダメモリが発足した。NECの元幹部は「戦略提携といえば聞こえはいいが、両社とも金食い虫のDRAMを社外に切り出したかったのが本音」と解説する。
その前後から各社の事業撤退や再編集約が加速する。10社近くあった国内のDRAMメーカーも現在はエルピーダ1社。日立と三菱電機はシステムLSI(大規模集積回路)事業を統合し、2003年にルネサステクノロジが発足。さらに10年4月にはNECエレクトロニクスとも統合し、ルネサスエレクトロニクスとして再々出発した。
再編で打開できず
「再編が進まない」とされる日本の産業界で、半導体は例外的に淘汰が進んだ業界といえる。だが問題は、再編集約が競争力の回復につながっていないことだ。
元日立の半導体エンジニアで、半導体産業について積極的に発言する著述家の湯之上隆氏は、日立時代に発足直後のエルピーダに出向した経験をこう振り返る。「日立とNECの出身者がにらみ合い、何も決まらない。日立側は『日立の技術がいい』と訴え、NEC側はその逆を主張する。不毛な対立で1年を浪費した。その間に韓国や台湾のライバル企業は随分先に進んでいた」
母体企業のプライドやメンツを引きずり、一体感が生まれない。そんな状態が解消されたのは、外資系企業出身の坂本幸雄氏をトップに招へいした02年以降という。
「産業のコメ」と呼ばれ、日本経済をけん引すると期待された半導体産業。没落の根底にあったのはグローバル競争から目を背ける内向きな姿勢と危機感の欠如だ。
「半導体王国」の全面復活は望み薄でも、電力を制御するパワー半導体など日本が優位な分野がないわけではない。それをモノにできるかどうかが半導体産業の存続を占う分岐点になる。
決断力欠き、ずるずる後退 飯塚哲哉ザインエレクトロニクス社長
――日本の半導体業界が失速したのは、何か決定的な失敗があったからなのか。
「私は東芝で長年エンジニアを務め、1992年に「ファブレス」と呼ばれる半導体の設計専門企業、ザインを創業した。その経験に照らしていえば、日本の半導体はどこかで決定的な失敗を犯したというわけではなく、過去20年間じわじわと後退し続けたというのが実態だろう」
「それには、いろいろな原因がある。例えば米インテルは80年代に日本企業に押され、これ以上続けてもだめだと判断してDRAMから撤退し、パソコンなどのプロセッサー事業に特化した。まことに戦略的な動きであり、「これぞ経営」というべき見事な決断だったと思う。日本企業がまねしたくても、なかなかまねのできない割り切り経営だ」
――日本企業はインテルのような米国勢だけでなく、韓国のサムスン電子や台湾の大手ファウンドリー(受託生産会社)に対しても競争力で劣後している。
「韓国勢や台湾勢が力をつけたのは、為替相場の動向や法人税の低さなど一企業では何ともしがたい外部要因も大きい。それが何年も何年も続いた結果、競争力が逆転した。例えば台湾の大手ファウンドリーと国内メーカーを比べると、以前は日本企業のお家芸とされた生産技術を含め、完全に台湾企業がリードしている」
「自由主義を信奉する米国でさえ、半導体産業が窮地に立った時には日米半導体摩擦が起こり、政治介入した。それに比べると、日本の政府や政治家はもう少し企業の国際競争力に関心を持ってもいいのではないか」
朝日新聞社「希望退職」に記者が大量応募
新聞・雑誌の実売部数を調査する日本ABC協会の、いわゆる「ABC調査」で、『読売新聞』が一千万部を維持している一方で、『朝日新聞』が朝刊で八百万部を割ったことが、六月末の調査で明らかになった。かねて、朝日新聞社の秋山耿太郎社長は「八百万部は絶対に維持しなくてはならない」と明言していただけに、八百万部割れは、同社にとってショッキングな結果だった。
朝日新聞社は二期連続の営業赤字に転落しているが、今期に入っても広告売上は相変わらず低迷。その上、販売売上も減少していることから、来年三月期決算も、三期連続の営業赤字になる可能性が高い。
そこで、こうした苦境を乗り切ろうと、同社では、六月から同社の「転進支援制度」に基づき、社員の早期退職を募集した。期限は九月三十日で、四十五歳以上が対象。同制度は、定年の六十歳まで勤続すれば得られる収入の半分を、退職金に上乗せすることが特徴。たとえば、現在五十歳で年収が一千五百万円の人が今回の早期退職に応じた場合、定年までの十年間分の収入である一億五千万円の半分の七千五百万円が通常の退職金(約二千万円)に上乗せされるため、合計九千五百万円になる計算だ。
このように、有利な制度であることから、七十名ほどが応募した模様だ。内訳は、編集所属が四十人前後で、残りが広告や販売。大阪の編集のナンバー2とされた記者も含まれている、といわれている。編集部門からの大量応募は予想外だったようで、人事部門は記者の穴埋めに慌てているようだ。
会社側は十一月頃を目途に「転進支援制度」の第二次募集をかけ、来年三月末までに三十名程度を追加募集。一次と二次を合わせて百名規模の人員削減を目指す方針だ。広告、販売ともにじり貧の中では、人員削減等の社内合理化を進めるしかなく、「社員の士気は落ちる一方」と、ある同社社員は嘆いている。
電子部品受注変調の兆しは? 村田製作所社長 村田恒夫氏に聞く 3DTV・電子書籍が下支え
金融危機後の落ち込みから順調に回復してきた電子部品受注に夏場以降、一服感が出ている。来年にかけ「市況の谷」を予測する声もある。あらゆる電子機器に搭載される電子部品、積層セラミックコンデンサーで世界シェア首位の村田製作所は顧客動向をいち早く把握、市況変動に対し素早く手を打ってきた。村田恒夫社長に見通しを聞いた。
――電子部品の受注動向に変調はあるか。
「4~6月の受注額は1635億円とリーマン・ショック前の水準を上回った。特に4月は需給逼迫(ひっぱく)を受けて顧客企業が部品の発注を前倒しした分、急増した。その反動もあり7~9月は4~6月を下回った。加えて春から米国を中心にパソコンの需要が落ち込んだ。期初は今年度のパソコン市場を前年度比15%増の3.9億台と予想したが、10%増に下方修正した」
「パソコン以外は好調だ。特に無線通信などの部品点数が多いスマートフォン(高機能携帯電話)が受注を下支えしている。受注残もあり、コンデンサー工場の平均稼働率は28日稼働ベースで100%を超えている。派遣従業員を3月末の4000人から6月末は4600人に増やした」
――年末商戦に向け部品受注はピークを迎えた後、落ち込む懸念はないか。
「私は楽観的に見ている。業界では来年5~6月にかけて落ち込むとの見方もある。パソコン市場だけを見ると慎重になりがちだが、コンデンサーは幅広い分野で使われる。これから電子書籍や3Dテレビの市場が立ち上がることで年末商戦後も部品受注はそう落ち込まないだろう。中国の春節(旧正月)需要も下支えになる。電子化が進む自動車や、電力などのインフラ設備向けも期待できる」
「ただ予測は年々難しくなっている。顧客企業の生産計画をもとにパソコンや携帯電話などの需要を予測しているが、製品サイクルが短くなったうえ、サプライチェーンが進化し在庫が減り、需要がぶれやすい。部品在庫の管理を当社が担い、顧客が在庫を持たないケースも増えている。製造から出荷までのリードタイムを短縮し対応している」
――円高の影響は。
「下期の為替レートの想定は1ドル=90円から85円に変更する。1円の円高で営業利益は18億円押し下げられる。海外生産比率は業界平均の65%に対し、当社はわずか15%。高付加価値品の比率を高めて国内生産を維持しようとし、対応が遅れた面もある。2013年3月期には30%に引き上げる計画で、あまり遅れない時期に達成したい」
<聞き手から一言>生産体制再構築、競争力に不可避
電子部品市場が右肩上がりの成長を続けていた2006~08年。村田製作所は独自の需要予測に基づき、06年度から2年続けて1000億円規模の大型投資をいちはやく実施、業績は急拡大した。だが、金融危機で一変。勝利の方程式は通用しにくくなった。
需要予測が難しくなっただけでなく、競合の韓国メーカーがウォン安を武器にシェアを拡大、台湾勢も台頭してきた。売り上げの8割を海外が占める中、国内生産にこだわり続けるのは厳しい。生産体制の再構築が急務だ。
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