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開発者は本当に足りないか 日本のゲーム産業の課題(COLUMN)
 日本のゲーム産業が抱える課題として、これまで「少子化」「日本的な流通慣習」の2つを取り上げてきたが、最後に開発者不足の問題を考える。今の日本のゲーム産業は人材が足りない。少子化は市場だけの問題ではなく、産業を支える開発者の基礎人口が今後長期に渡って不足する事態に直面している。
 ゲームの先端技術分野では、高等数学など専門性の高い知識がますます要求されるようになっている。その一方で、そうした知識を習得できる情報系の学科に進みたいと考える学生は少なくなっていて、大学などの高等教育機関からの人材供給は十分でない。
 ただ、私の理解では、ゲーム産業に進みたいと希望する人自体が減っているわけではない。その熱意をうまく産業側が受けとめることができないことが問題なのだ。さらにこの問題は、(1)長期的で構造的な人口減少による不足、(2)短期的な学習機会の少なさからくる不足――の2つに分けて理解すべきだと思っている。
 どちらも、「水が半分入ったコップ」と同じで、受け止め方次第である。つまり、「半分しか満たされてない」と考えるか、「まだ半分も空いている」と考えるか。後者は現状をチャンスとして捉える見方で、大事なのは残りの半分に入る水が「どこにあるか」を探すことである。
■日本で働きたい人材は世界中に余っている
 まず、(1)の構造的な人口減少による不足について、空の部分を埋めるにはどうすればいいか。それには人口の多いところから獲得するという方法がある。
 昨年2月の米サンフランシスコの「ゲーム開発者会議(GDC)」に、日本貿易振興機構(ジェトロ)が初めて日本ブースを出展し、海外での商談を希望する企業7社を集めて、ビジネスミーティングの機会を設定した。その際、面白いことが起きた。企業人でない人が、山ほどやってきたのである。
 GDCは、欧米圏での学生を中心とした就職活動の場でもある。米国の学生たちが、日本企業にインターンをすることができないか、もしくは就職することができないかと、ひっきりなしに問い合わせに来たのである。
 これには対応に困ってしまった。そもそも、こうした人が来るということはまったく予想していなかった。また、ジェトロの機能は、日本製品を輸出することを目的としており、海外から日本に来たいという人を受け入れる仕組み自体がない。
 ジェトロの中澤義晴氏は、押しかけてくるその人たちの熱意に驚かされたという。「他の産業では見たことがない現象」だという。名刺の山や連絡先のメモだけが残ったが、使う道がなくそのままになっている。
 これは、日本の「ゲーム」が持つ強力なソフトパワーを証明している。一時的に滞在する「観光」の場としては注目されつつあるが、海外の知識労働者を受けとめる場として、ゲーム産業が捉えられたことは過去一度もない。
 日本のゲーム会社は、チーム全体の整合性をとるために開発メンバーが日本語でコミュニケーションすることを前提としているケースが多い。日本において英語で人材募集をしているようなところはほとんどない。海外現地法人がある場合には、そちらから入社するようにと指示するのが一般的だ。
■「機械」から「人」への時代
 米経営学者のピーター・ドラッカーは「イノベーションと企業家精神」(ダイヤモンド社)で、日本がロボット先進国になった要因を「労働力ニーズ」にあるとした。また、日本は米国で先に開発された技術を持ち込んだだけとしたうえで、ロボット技術が進歩した要因を次のように分析している。「日本はアメリカより、4、5年早く、ドイツより10年早く最初の少子化に襲われた」(P.64)。労働力不足が認識されるには10年かかるが、「日本ではその10年がアメリカよりも先に始まっていた」
 少子化がロボットの導入を促し、結果的に技術を発展させたというわけだ。今、日本は二度目の少子化の時期にぶつかっている。ただ、ソフトウエア産業は製造業とは考え方を変えなければならないだろう。相手が「機械」ではなく、コミュニケーションを必要とする「人」だからだ。
 しかし、「人」相手では大変かもしれないと率直に思う。それは日本が持つ伝統にも関わるという思いもあるからだ。
 司馬遼太郎が1987年に行った講演で、中国語を漢文という独特な読み方にしたり、夏目漱石がイギリス留学後も英語を話すのを苦手にしたことを引用しながら「日本は数千年来、現実の外国人に出会うことなく、海の向こうから舶載されてくる書物によってのみ、その文明を理解してきました」(「司馬遼太郎全講演3」P.246)と述べている。そして、直接的な交流が始まった日本の今後の苦労を予感させながらその講演を締めくくっている。
 この文章には、私自身もはっとした気分になった。インターネットの登場とその一般化は、少なくとも情報というレベルでの地政的な意味を失わせてしまった。実際、情報は英語圏から大量に取ることができるようになった。日本も日本だけで閉じられない。同時にそれは、いち早く情報を取ることだけが競争力の源泉となる時代が終わりつつあることも意味している。
 そこから踏み込んで、他の国の人と深いコミュニケーションを取りながら仕事できるレベルにまで、たどり着けるかどうかがポイントだと思えるのだ。これを日本のゲーム会社がやろうとすれば、確実に苦労するのは間違いない。しかし、その多大な苦労を乗り越えられた企業が今後、優位に立つだろうという予感がある。
 困難なことは確かだが、コミュニケーション能力を世界レベルにまで引き上げれば、人材のコップの残り半分に入る水はまだ十分存在していることは知っておいていい。
■日本人開発者によるゲームプログラミングの大著の登場
 先に挙げた(2)学習機会の不足の問題は、日本人で日本語しか話せず、ゲーム産業に行きたいけれど学習手段を手に入れられていないという人たちを巻き込む方法を考える必要がある。この点で、日本の産業側の努力が足りているとはとても思えない。
 ただ、大きな変化が起きそうな兆しを感じている。昨年、日本人の現役開発者によるゲームの教科書が2冊出た。私自身、日本では現役の開発者が書く「ゲームの教科書」が成り立たないと思っていたこともあり、いい意味での驚きだった。
 昨年10月に出版されたセガの平山尚氏の「ゲームプログラマになる前に覚えておきたい技術」(秀和システム)は850ページもの大著で、4500円という高い価格設定にもかかわらず版を重ね6000部を売り切った。今なお人気で売り切れが続いており、ゲームの技術書としては異例のヒットになっている。好評を受けて、さっそく続編の執筆が検討されているという。
 平山氏は、技術的に思い切った割り切りで効果を出す開発戦略をとることで知られる現役のプログラマーだ。夢も希望もないかと思わせるようなその文体には、幻想を抱くことなく現実を真っ向から見つめる強烈な個性がにじみ出ている。そのために、単なる技術書とは思えない、人を引きつける小気味よさがある。この感じは翻訳書では出ない。
 この本の27章に、執筆の動機が書かれている。適当な教科書がないので、自分で書いてしまったということらしい。
 「この本を書こうと思ったのは、新人研修の教官をやった時に大変困ったからである。これを読んでおけ、と言える本がないのだ。この分野はこれ、あの分野はあれ、と列挙することはできるが、5冊も10冊も積まれても新人が困ってしまうだろうし、そもそも、部分の総和は全体にはならない」
 そして、学習についての現在の日本企業の問題点も指摘している。
 「ゲーム会社でベテランになっている人々というのは、ゲームの地位が低かった時代から気合と執念で学んだ人達である。だから、放置しておけば本人の情熱によって勝手に使えるようになる、と信じているところがある。あまりまじめに教育のことを考えてくれない。そもそも、ゲーム会社に入るなんていうのは人生を棒に振る覚悟が必要な選択だったわけで、単なる職業の一種でしかない今となっては、来る人の質が変わってしまうのも無理からぬことである」
 本の内容について言えば、プログラム一つ取ってみても多様化が進み、ゲームに絞り込んだプログラミング技術でさえ学習するにはかなりやっかいな幅の広がりを見せていることがよくわかる。そして、未だに技術のすそ野は広がり続けている。平山氏自身も、言及し切れていないことが多いと述べ、さらに本格的な書籍の登場の必要性も訴えている。
 平山氏が流れに立ち向かって懸命に進もうとする労苦が伝わってくる。
■日本のゲーム産業に出現した突破口
 もう1冊は12月に出版されたセガの馬場保仁氏と元コーエーの山本貴光氏が書いた「ゲームの教科書」(ちくまプリマー新書)だ。こちらはゲーム開発者の仕事内容などを紹介しており、ゲーム開発者を目指す人向けの導入書となっている。
 これらの本は、外からはブラックボックス化していると言われ、関心があってもどのように近づいていけばいいのかわからない多くの潜在的な将来のゲーム開発者に、さまざまなヒントを与えるものと思われる。
 現役開発者が書籍を出版することは、欧米企業では当たり前であり、欧米ゲーム産業隆盛の要因の一つになっている。重要なのは、ようやく最近になって日本でも実現し、突破口を切り開いたという点だ。これは日本の産業側の変化の兆しを示すものであり、空いたコップに水を注ぐ方法は、こうした形でも存在することを示している。これらの本でゲームを学び、産業に進んでくる人は少なくないだろうと希望を持っている。
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